ボトル・ディギング
本日は終戦記念日、暑い1日でした。
物心ついて今年ほどセンシティヴな8月15日はありません。
時を経て古くなったものは要所要所で時代性を持たせる必要(=改める)がある。
その場合、きちんとしたプロセスを経なければならない、そう思っています。
ここのところそのあたりがおざなり&小手先でぬらりくらり操られているように感じます。
諸先輩方が身を以て呈してくださった教訓。
きっちりと見定めて、不戦の思いを次世代に継承していかねば。
…そんな日。
かつお盆休み中ゆえ、色々考えつつ早い時間からやっています。
最近、「小さな蕾」で”ボトル・ディギング”なるものを初めて知りました(皆さん、ご存知だと思います)。俄知識で言い表すと…過去のゴミ捨て場等を探し当て、遺物(=ガラスのボトル)を発掘すること、らしい。アメリカでは趣味の一つみたいですね(そういえば日本でも根付いた感のある”ビーチ・コーミングもある意味その類いかも?)
同誌や関連サイトではディガー達の想いが熱く展開されている。
如何にして掘り当てたか、掘り当てたものの美しさやそのものの由来等々。
…なんだかこれらを読んで「どこかで聞いたな」と思った。
古地図や土地の古老からの情報収集、土地所有者との折衝を経て発掘に到る経緯は昔の日本の”掘り師”のよう。そう、昔”掘り”をやった事がある人に聞いた話しと用語は違えど本質がまったく一緒!
ある意味、古着屋や古書店巡りも同じですね。
古いものに魅せられる人たちはモノに対する価値観は違えど大まかに言えば同じ穴の狢、なのかなぁ。
いやはやなんとも興味深い記事でありました。
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feat.ガラス徳利&初期伊万里でまだまだいきます!