古唐津数奇の、”盗掘”話
唐津系古窯をよく知る数奇者と呑んだ。
ここ数ヶ月、彼の地とご無沙汰なのでたまらなく楽しかった。
一番盛り上がったのは昭和の発掘話。
文化財保護法は施行されている、といっても今とは違っておおらかな時代。
「地主さんへ一升瓶のご挨拶と引き換え」、とか「一掘り一万円」とか良く言われている話しが序章。
更に「調査の名目で高名な陶磁学者が発掘を行っては何事もなかったように出土品を持ち帰った」、とかいろんな話しがざくざく=確かに昭和の陶学者の著作には「自身が掘って来た」なんて書いてあったりする。実際、平成のはじめぐらいまでは「掘り専門」で生業をたてていた人が居たらしいし。
とにかく江戸末からの”掘り”の歴史を考えると色んな意味で凄いなぁ、と。
今でも使用に耐えうる器形を保ったものもでるらしい。
古唐津の、当時の生産量は本当に驚愕もの!
で、「古唐津ブーム」も「インターネット」もない時代=昭和。
相当いろんなものがあったんだろうなぁ、と。
「岸岳の、そう帆柱の筒なんてのはダメージの少ないやつを選んで持って帰ったらしいよ」とか
「小皿とか山盃なんてのは(窯跡から)持って帰らなかったみたいよ。評価が低かったしね」と見て来たように話される氏。脳内トリップは彼の地へ、そして彼の時代へ。
…当時を謳歌できた諸先輩方が羨ましくてならない。
今の岸岳古窯群。
陶片は指の先ぐらいのものが散見されるぐらい。
何より盗掘者として通報されるからおちおち窯跡をそぞろ歩く事もままならない。
重ね重ね、その昭和の大らかさが羨ましくてならない。
そういえば2004年、はじめて市ノ瀬高麗神古窯に行った際に物原の斜面(カモフラージュされた穴)から人が出て来た事があった。本当にびっくりした(人もいない山の中で、意図せず人がゲームの”モグラタタキ”みたいに「どばっ」って、でてきたらそりゃ誰でも驚くでしょ)→盗掘をしていたみたい。手にした袋が「がちゃちゃ」と音を立てていた。なんとも印象的だった。
まぁ、昭和は今とは比べ物にならないくらいにモノがあったのは確か。
それらはいったいどこへ行ってしまったんだろう?
手にした人が死んでそのまんま遺族が価値も知らずに整理?
それともじっと投機の対象としてキープ??
まぁ、答えはでませんが。
氏との話しは落ちもなく、なんとなく幕引き。
モノへの想いは募る一方で場を後にしました。
でもこういう話しは楽しい。
どうにも”手の届かないモノ”への憧憬。
こればかりはどうにもなりません。
でも…諦めませんw!(キッパリ)
明日も早いのですが月曜日からやってます。