古唐津 岸岳庵

24時間古唐津数奇 feat. 初期伊万里・李朝・木地盆

一気に、岸岳~松浦~武雄~平戸諸窯跡巡り(再アップVer.)

唐津やきもん祭り」をほんの少しお手伝いさせていただいた。
畏れ多い諸先輩方との共演で緊張しまくりでした。

二年ぶりの参加。
着実に集客は増え、かつ「唐津」としての色が出て来ているよう感じた。
来年、再来年、更には十年、二十年と継続してほしいなぁ、と切に思う。
福岡が国家戦略特区となった事も追い風になるだろう。
日本各地はもとより全世界からも人が集まることに。
これを契機に”福岡の奥座敷”としての立ち位置を唐津は確立してほしい、そう強く思った。
”やりよう”はある。
と、いうかやらないと!

どれだけこの街にパワーをもらった事か…。
少しづつ恩を返していきたい。
イヴェントのプロデューサーである一番館Sさん、Nuff Respect!
(因みに唐津駅南口の近代図書館にて開催中の「寺沢氏と今井氏」に関する催事はなかなかでした。
中里家が寄贈した古唐津も見応え有り!)


翌日は朝八時半にJR唐津駅で、拙ブログにてリンクした古陶数奇Kさんと待ち合わせ。
この道=古陶の先輩のお話しを伺いながら氏が行かれた事が無い古唐津系諸窯をご案内することになった。骨董に関して、圧倒的な識見をお持ちの方をご案内する、というのは何とも不思議な感じでした。

自分の帰京時間にあわせた古窯巡り。
時間を最大限に活かし分刻みで臨んだ。

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皿屋~飯洞~道園~師匠宅鑑賞会~藤ノ河内~椎の峰~古那甲之辻~小物成~原明~葭ノ本~柳ノ本。

←岸岳麓・皿屋古窯跡。








「よくもまぁ、ここまで」と自分でも呆れてしまう。
昼食を摂る事も無く只管K氏と古陶話しに興じながらの、諸窯訪問。
どこもかしこも薫風心地よく、里山を覆う清らかな緑が日々のストレスを消し去ってくれた。氏と発する言が都度重なり、良き時間が過ぎていった。

良く行く窯跡ばかり。けれどそんな最中に想定外なこと、もあり…。

@葭ノ本。
高麗神さんへのお参りを主たる目的として訪れた。
が、昨年訪れた時以上に四方八方に張り巡らされたバリケートに遮られ、案内板にも辿り着けない始末。更には地元の古老に「ここは今、地元の人も入れん。気持ちはわかるが…」といなされ断念。
盗掘という行為がこういった事を引き起こしている訳だがなんとも残念である。微妙な表現になるが「史跡が史跡として機能していない」感じ。前述の案内板の文字も読めない盗掘防止柵の設置は一考を要するのではないか?ただ(盗掘者により窯跡が荒らされている)という事実と(古を感じる為に窯跡を訪問する人)とのバランスを考慮した場合、現在は前者に重きが置かざるを得ない状況なのであろう。
なんとも残念だ。

自分の中で最も好きな窯跡。
当面は距離を置くことになりそうだ。

で、なんとも暗い気持ちですぐ隣の「柳ノ本古窯」へ向う。

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←朽ちる一歩手前の標識。これはこれで良い佇まい。




畑仕事をしている土地の方々にお断りをしつつ、そぞろ歩き。
農道に沿って露呈している物原。
人家に隣接しているせいか、こちらは前述葭ノ本古窯とは異なりじっくりと散策する事が出来た。
ここに住んでおられる古老のお話しはたまらなく僕を刺激し魅了した。

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←鉄釉をかけた筒茶碗の陶片。こんなものもつくっていたんですね。高台は砂目。ちょうど手にすっぽりと収まるサイズ。本窯が稼働していた時期は磁器生産が始まった時期と重なる。初期伊万里の筒茶碗に形も酷似しているし、それらに対抗して作ったのかもしれない。






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別の同じ筒茶碗陶片。
こちらはシャープな削り出しが素晴らしい。









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この他には糸切りまんまの小皿の陶片(十枚単位で積み重なっているもの)やら絵唐津(片口?)陶片も散見。




時間に制限がある中の訪問だったので、次回は改めて土地の方、または教育委員会に掛け合いじっくりと話しを聞いてみたい、そう思った。

あっという間に帰京時間に。
唐津の諸窯を大きく分類している4エリア。その主要古窯を分刻みで駆け抜けた。
しみじみと自分自身、肥前陶の奥深さに感じ入った。
何度行った窯跡でも、毎度毎度新たな発見があり、触発される。

Kさんを案内、というよりも自分自身の復習、みたいな体になってしまった今回。
が、氏も現場とのリンクの大切さを感じてくれたはず。

毎度の事だが…
帰路、再訪への想いはより強く。
当分先になると思うが次は今回以上の成果が得られるよう準備して臨みたいものだ。