古唐津 岸岳庵

24時間古唐津数奇 feat. 初期伊万里・李朝・木地盆

古唐津 始源に関して

拙ブログでは何度も通説たる「波多氏 古唐津始源説」に対して(?)を呈して来た。
諸先輩方の見識に尊敬の念を抱きつつ、日々更新される新事実を受け止め検証を重ねる。
歴史、とはそういうものだと私は考える。

そのアプローチで一層(?)は強くなってしまった。

機会に恵まれ、彼の地の、郷土史を束ねる方にも直接疑問をぶつけたことも(←納得のゆく返答はなし)。以降、考察を重ね今に至る。最近、在唐津近辺の作陶家(地質、文化他様々な視点から古唐津を検証しているのが”今”の唐津焼作家)に、意を同する方が増加中。2006年ぐらいから色々思って来たが、「壱岐元号銘入り壺が古唐津ではない」という新事実を受け、「疑問」は「確信」に昇華した。

★やはり…
「古唐津は波多氏が1580年代に連れて来た陶工が興した、のではなく豊臣氏朝鮮半島侵攻によって渡来した人々によって興された」のでは?

★また…
「岸岳古唐津始源説」に関しても確固たる証拠がない。
岸岳→松浦→武雄→平戸と変遷したとする通説もやはり(??)である。
同時期に寺沢・鍋島(多久)・大村・松浦諸氏によって興された可能性も低くはない。いや、この解釈のほうが自然では??

先人が磨き上げ、一方で飾り立てた”史実”を改めるタイミングが来ているように思われてならない。
暴言、とは思いつつ、私的思いを綴る場所がここゆえ記しておく。

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2006年春撮影。





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同日、岸岳踏破。
要所要所に織豊期の香り。




●追記→日本史が好きで13歳の頃から各地の、城跡を巡って来た。お気に入りは織豊期のそれ。
岸岳城は同じ匂いがしたんだよなぁ(多分、波多氏改易後改修を寺沢氏が施したがゆえ、だろう)。