古唐津 始源に関して
拙ブログでは何度も通説たる「波多氏 古唐津始源説」に対して(?)を呈して来た。
諸先輩方の見識に尊敬の念を抱きつつ、日々更新される新事実を受け止め検証を重ねる。
歴史、とはそういうものだと私は考える。
そのアプローチで一層(?)は強くなってしまった。
機会に恵まれ、彼の地の、郷土史を束ねる方にも直接疑問をぶつけたことも(←納得のゆく返答はなし)。以降、考察を重ね今に至る。最近、在唐津近辺の作陶家(地質、文化他様々な視点から古唐津を検証しているのが”今”の唐津焼作家)に、意を同する方が増加中。2006年ぐらいから色々思って来たが、「壱岐の元号銘入り壺が古唐津ではない」という新事実を受け、「疑問」は「確信」に昇華した。
★やはり…
★また…
「岸岳古唐津始源説」に関しても確固たる証拠がない。
岸岳→松浦→武雄→平戸と変遷したとする通説もやはり(??)である。
同時期に寺沢・鍋島(多久)・大村・松浦諸氏によって興された可能性も低くはない。いや、この解釈のほうが自然では??
先人が磨き上げ、一方で飾り立てた”史実”を改めるタイミングが来ているように思われてならない。
暴言、とは思いつつ、私的思いを綴る場所がここゆえ記しておく。
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2006年春撮影。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101024440.jpg)
同日、岸岳踏破。
要所要所に織豊期の香り。
●追記→日本史が好きで13歳の頃から各地の、城跡を巡って来た。お気に入りは織豊期のそれ。
岸岳城は同じ匂いがしたんだよなぁ(多分、波多氏改易後改修を寺沢氏が施したがゆえ、だろう)。