古唐津 岸岳庵

24時間古唐津数奇 feat. 初期伊万里・李朝・木地盆

なじむ、ということ

世の中にあるモノ。
当たり前だが使ってみないとそれが自分にとって良いモノかどうか、わからない。

骨董の、特に、僕の好きな酒器は「使わんとね」と思う。

念願のモノ。
夢焦がれていたモノ。
例えそれが手元にきてくれても、実際の使用感が「あれっ…」で”落ちた経験”をされた方も多いのでは?

釉薬やら、焼成具合、ダメージやら。
そう、味の付き具合といった器本体の状態はもちろん、手取りとか、何よりも重要な呑み具合、等々。
酒器の場合、唇に触れる器の口辺の感じが合わないとどうにもよろしくない。
…で、無理矢理に使い込むってのは趣味の世界であるし、どうかな、って思う。
僕について言えば、そぐわないところがあると手元から離れていってしまう。
このあたりは微妙で離れた先の、次なる持ち主さんとは相性ぴったりで感謝されたりもする。

熱望されてわたっていったモノに後悔することはままある。
…が、自ら手放したモノに対しては後にそれが出世しても全く未練がない。

…で、この春から続けて二つの酒器が手元に来てくれた。

いずれもネットで存在を知り、ぐいぐいと押すでもなく拙宅に。
雰囲気はよかったけれど、やはり使ってみないことにはわからないのは前述の通り。
二つとものっけから、とにもかくにも使い倒した。
内外そこら中に連れ回して楽しみながら、試した結果、幸いにして馴染んでくれた。

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小森谷と大川原(櫨ん谷?)








まぁ、よかった、よかった。
一方、昨年来てくれた酒器がどうにも馴染めなく、箱に仕舞われたままだが…OMG。

男女の仲ではないが、どうにもこうにも難しいもの、またこれもたのしいなぁ、
などと思ったりしている週頭。