多久高麗谷古窯
今、話題の武雄市立図書館。
福岡出張のついでに地方自治体の、そのなんとも興味深い”試み”をチェックしに。
媒体露出が多いせいか凄い、人、人、人。
落ち着くまでに半年ぐらいかかるんだろうなぁ。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101042840.jpg)
いつか彼の図書館でコーヒーを飲みながら武雄の郷土史関係の書でもを捲りたいなぁ、なんて思いました。
さて3時間程時間が余ってしまい…。
武雄北部経由で福岡空港を目指すことにしました。
→そのついでに古窯をのぞこうという魂胆。
そうと決めたら早い。
武雄市内から20分弱の「多久高麗谷」に照準を合わせた。興味がありつつも武雄系で唯一訪れていなかった窯跡。場所を検索してナビに打ち込み!
市内から北東へ進路をとり、川古若木に。
山口という集落につき、車を止めた。
正確な住所は西多久町板屋字山口。
佐賀平野から吹き上がる風が心地よい静かな山里でした。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101042850.jpg)
何気に、ここからが大変だった。
見当をつけ、方々をうろつくが窯跡は見つけられず。
人を見つけて訪ねてみるも皆「知りません」と口を揃える。
30分ぐらいうろうろ。相当怪しかったと思う。
で、”尋ね人”5人目にしてようやく窯跡のことを知っている方に出逢えた。
「李参平さんがいらした窯」とおっしゃる。また「そのあたりは昔は皿屋、って呼ばれていたよ」、とも。気がたかぶった。お聞きした場所を急ぎ足で目指す。尋ねた場所から約300メートルぐらい、25号線に沿って女山峠にむけて登ったところが窯跡だった。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101042900.jpg)
八幡岳への登山口入り口、牛津川を渡ってすぐ右手のお宅が窯尻だったようだ。
現地にはいかにも窯跡らしい焼け石がごろごろと散在。
けれども窯道具なし、勿論そんなところだから陶片も一切なし。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101042911.jpg)
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101042920.jpg)
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101042930.jpg)
国道を渡って、おそらく物原であったろう箇所(=現在は田んぼ)やら、民家近辺に目を凝らすもまったくそれらしきものは確認できなかった。
が、国道下から見上げると、まさに窯を築くには格好の地形であることに気付く。
豊富な水、急勾配地形、そして南西から風が吹き上げる地勢…。
窯の長さは思うに25メートルほどだろうか?
ここで精緻な図柄の、絵唐津が焼かれていたのだと思うと本当に胸が熱くなった。
と、同時になんとも健康的なその集落の佇まいにやられた。
伝世品でこの窯産である、と言われるものに時折出逢う。
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101042940.jpg)
←彼の古窯発掘の陶片。筒向だったり、寸胴の大振りの盃(三つ紋)だったり。
同窯の絵唐津の筆致は巧みすぎて、その「過ぎる」ところが僕の好みではない。
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101042950.jpg)
が、彼の地を訪れてそんなことは吹き飛んでしまい、あげくには「いつか欲しい」なんて思うに到った次第。
うまく言い表せないが、点が線になった感じの古窯巡りだった。
これだから、現場は面白いのだ!