唐津陶、最西端の窯跡
過日、本業の出張で佐世保へ。
翌日、帰京のフライトまで時間がかなり有り…
乞うて長崎のM師匠と同地で御逢いする事になった。
一年半ぶり。楽しい陶談に日頃のストレスも吹き飛んだ。
(相変わらず若々しい!)
時間はそこそこある旨を話すと「じゃ、平戸あたりまで行ってみましょうか?」とのご提案。つづけて「平戸系の本拠地、と言ってもその平戸にまではなかなか行けません。私も20年ほど行ってませんよ。こんな機会はもうないかもしれないから…どうですか?ここから25キロほどですし」と続けられる。
乗らない手はない。
師匠の車に飛び乗り、平戸を目指す。
車中は只管古陶について語り合う。
肥前陶磁を知り尽くしている御仁故、何もかにも新鮮でしかも刺激になる。
ほどなくして師匠が車を停める。
「ここが窯跡なんですよ」と。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101040000.jpg)
名称は福井古窯。不勉強ゆえ、てっきり時代の上がる窯跡と思っていた。
辺りを見回すと「なるほど」、の地形。
舌状丘陵を取り巻くように流れる二筋の川。
急斜面で南に開けた地形(風は良い感じに吹き込んだろう)で窯は南東から北西に上がっていたように推察された。
窯跡と思われる場所には民家があり、まずは挨拶に伺う。
有り難い事に地主さんに笑顔で応対していただき、おまけに家の増築時に出土した品を見せていただくことになった。
それは、紛れも無い古唐津陶だった。
鉄分の多い胎土はまるで武雄系。しかも緻密。
高台、その大半は平べったくて太い。まるで市ノ瀬高麗神や徒幾ノ川内のようだ。
輪花やら、皮鯨やら、鉄絵やら。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101040010.jpg)
釉薬は土灰釉、透明釉、鉄釉。
磁器も焼いていたらしいがその出土品の中には見受けられず。
かぶりつくように陶片を愛でまくった。
地主さんからしたら大の大人がかぶりつくように割れた器の欠片に執着する模様は異常に映ったろうなぁw。
30分ほど堪能し、地主さん宅を後にした。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101040020.jpg)
これをヤフオクでみたら、間違いなく(贋物)と思うだろう。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mstmrtrsp/20010101/20010101040030.jpg)
堅い土、この太い高台を見よ!
車にむかう途中、師匠が「このあたりが物原じゃないかな」と指摘された、地主さん宅に隣接するお寺の下の空き地をそぞろ歩く。
するとそこかしこに陶片が!
先人の営みを直に感じる事が出来た。この感じが窯跡めぐりの楽しさ、である。
交通の要所である吉井町。が、海までは遠い。
それにしてもどうしてこんな内陸に窯を築いたのか?
…山瀬と同じように興味はつきない。
そんな想いを胸に車中の人になった。
意図せずして最果ての古窯跡を尋ね感無量でした。
最東端、最南端、最北端、最西端、その全ての古唐津系古窯を踏破したことに。
思えば随分遠くにきたなぁ、と思いつつ平戸に向ったのでした(つづく)。