吉野靖義氏個展
週末、吉野靖義さんの個展に顔を出した。
昨年は震災もあり、個展に伺えなかったので期待に胸を膨らませて渋谷・炎色野さんを訪店。
でも、その”印象”はいつも以上に古唐津のもつ独特の緊張感を伴う、凛としたものだった。
器形、絵付けは吉野さんオリジナル。でもそこかしこに古唐津の息吹が宿っている。
大変失礼な話しだがこの齢にしてそのアグレッシヴさには脱帽でした。
僕の本業も同じ事が言える。きちんとオリジナルを解して、そこから自分なりのものを創るってのは容易な事じゃない。愛情と熱情と、不断の努力なくして人の心を打つものはなし得ない…。
今でこそ「古唐津・砂岩、頁岩陶土精製説」がメイン・ストリームになっている。が、氏は偏見と誹謗中傷に耐え忍び、ご自身をインスパイアしてくださった須藤義光氏と共に研鑽を重ねここに到った訳で…(詳しくは新潮社刊・とんぼの本”唐津 やきものルネサンス”84項をご参照ください)。
で…
当日、偶然にも氏は在店されていた。
氏のお誘いでそのまんま「ちょい、一献」、という流れに。
…二人で一升ばかり。
気持ちのよいお酒でした。
吉野氏によると現代唐津陶は今非常に良い局面を迎えているよう
だ(梶原氏も同様のことをおっしゃっていた)。
磁器しかつくれない陶工が秀吉の朝鮮半島侵攻時に拉致、そして来日。
磁器は粘土ではなく、陶石を砕き精製し造られる…。
…しかし、つい最近までそれがまかり通ってここまできてしまった。
ここに到る経緯はその時代性も考慮し丁寧に議論しなければならないが、昭和初期の唐津焼再興をバックアップした人たちが、製陶術に関して歴史的背景を深く考慮せずに持論を具現化させたところがポイントだったのかもしれない。また、再興された技法をそれ以降の作陶家が疑いもせずに継承してしまったこと(これは無理もないことだが)にも問題があったように思えてならない。
ただそういったプロセスを経て、今がある。
無駄のように思える時間の流れにもきちんとした意義がある。
先頃、吉野さんは自らの製法を(砂岩、頁岩からの精土法、作陶法)を同業者、後進の人々に向け、全面的に開示したという。「胸のすくような話し」ではないか!”一唐津焼ファン”として、氏の「器の大きさ」を受け止め、自分なりに実践する作陶家達が更に多く輩出せんことを望んでやみません。
発信する人は、閉鎖的な環境では叩かれるもの。
それに負けず、前進する事によって生まれるものがある。
吉野さん、梶原さんの勇気と心情、そしてその気高さがようやくにして日の目を見た事を
心底嬉しく思います。
はじめて櫨の谷窯を訪問したのは2003年。
あっという間に10年近くの時間が経ってしまいました。