初源伊万里について
美術史的見地から古陶磁が語られると、多分にロマンティックな要素が加わる。
嫌いではない。
いやむしろそのほうが好きかもしれない。
そこから生じる曖昧さやら、ストーリーがその魅力を増す調味料になるが故。
…が、それにも増して、最近は近世考古学的見地からそれらを語る事のほうが自分の性にあっていると思うようになってきた。しっかりした論拠はあやふやな矛盾をクリアにしてくれて気持ちが良い。
そんな例が一つ。
←初源伊万里と言われる盃を多く産した平戸北部系小物成古窯。
日をおかず、敬愛する古美術商の方々、そして前述の友人を交えた酒席があった。
当然、その話しに。…で、本職二人が口を揃えて美術史的見地に立った。
二人はわかっている。けれど敢えてそちらサイドの物言いをしていたようにとれた。
ロマンティックでなければ、骨董じゃないし。
「皆わかっているんだなぁ、けれど…」、とその時、思った。
もっともっと知りたいし、学びたい。
改めてそう思う。
追記:近世考古学にも造詣が深い、有田の作家Tさんに個展のタイミングでその旨を問うた。
実際はどうだったんでしょうか?