古唐津 岸岳庵

24時間古唐津数奇 feat. 初期伊万里・李朝・木地盆

清六の辻

あっと言う間に1週間経ってしまったなぁ。
さて、前回の続き。

学芸員さんに御逢い出来るのが嬉しくて、約束の時間より1時間半も早く有田に着いていた。
雨はシトシト程度。色々考えて平戸北部系清六の辻古窯群(1号、2号、大師堂横と3つの窯跡が近在している)をそぞろ歩くことにした。因みに陶器、磁器を焼いていた窯。きちんとチェックするのは2007年以来。

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←2号古窯はブッシュが酷く近寄れず。












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←1号古窯。窯体の上を墓地への道が横切り、古窯の上部は墓地になっている。が、陶工さん絡みと思われる古い墓はない。整理されてしまったんだろうか?









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上部からみると向かって左側に遺物が多い(木の左辺り)。物原だったのかな?










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この窯と言えば「掛け分け」。鉄釉と灰釉が半々になった意匠は今も斬新だ。東京の骨董屋さんでも発掘ものを何度か見かけたなぁ(←伝世もありそう)。5年前にはそこかしこに見られた掛け分けの陶片だが、今回は見つけられず。まぁ2号古窯ほどではないけれど1号もそれなりのブッシュがあるし、まして当日は雨でヤブ蚊への対策もなかったので細かいチェックは出来ず。





15分ほどうろうろして、線路&国道を隔てて1号古窯のすぐ横にある大師堂横古窯へ。

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窯上部に大師堂がある。昔はこれ高麗神様か陶工さんのお墓だったのかも、と思ったり。こちらも陶片、磁片は少ない。発掘調査報告書をみると大半は工場の下に埋まっているらしい。






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最後に二号古窯。窯体を横から見上げる事が出来る貴重な史跡。当時は勾配ももっと急で、多くの陶工さんが働いていたんだろうなぁ、なんと遠い目をして考えちゃいました(因みに有田の教育委員会が発行した”有田の古窯”という発掘調査報告書には2号古窯上部に「高麗神」がある、と明記されている。ブッシュの無い時期に確認したいもの)。





川口誠二さんの著作「肥前の古窯」では”清六”という朝鮮半島から来た陶工さんがいたのでこの名前になった、とされている。短時間、しかも雨中の古窯巡りははじめてでしたがそれはそれで良くて。色々な”点”が”線”になりました!

学芸員さんを尋ねた後、M師匠と葭の本古窯を臨む共同墓地を訪ねました。彼の古窯を興したと言われている陶工さんのお墓、と言われている古墓に手を合わせる。昨年も書きましたがここからは葭ノ本古窯がよく見えます(今回は葭ノ本そぞろ歩きはなし)。

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←古墓は木のために倒れそうになっている。綺麗に手入れされた墓域。地域の、この墓に葬られている方への想いを感じる。











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何かしら文字が書いているが読めない。











次の窯跡巡りは冬、かなぁ。
いずれにせよ、現場に答えがある。
行くたびにそう思う次第。