古唐津 岸岳庵

24時間古唐津数奇 feat. 初期伊万里・李朝・木地盆

武雄北部系、を改めて③

峠を越えて、武雄系としては最も古い年代に窯が築かれていたエリアについた。
谷戸の最深部に錆谷古窯、谷を挟んで向かいに広高麗古窯、そして黒牟田寄りに七曲古窯。
それにしても、何度来ても自然=生物体の息吹が強く感じられるエリア、だ。
この、なんとも言えない圧迫感…。
~木霊、というのだろうか?明らかに人を色々な意味で圧倒してくるエリア。
僕は心霊とかの、超常現象と言われているものを信じない。けれどここには昼でも独りでは怖くてこれないだろうな。

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まずは七曲。
←杉の木があるあたりが窯跡らしい。
因みに写真にある道がくねくねと山を登り、川古方面に繋がっている(今回ここを下りて来た)。









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何度か来ているが窯の痕跡を発見出来なかった。
が、今回農道から一段下った、田んぼの端に数点の陶片を確認。「窯が有ったんだ」ということをようやく実感出来た。この陶片がある辺から登り窯は上がっていたんだろうなぁ。いずれにせよ小さな窯だったのでは。






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その後、元の農道に戻り、谷戸奥に進んで広高麗古窯を目指す。
以前来た時には陶片やら窯道具やらが散らばって窯跡であったことが容易に確認出来たが、遺物は全くなし。盗掘痕(全く見当違いの場所を掘っている)ばかりが目立つ(鍬が打ち捨ててありました~汗)。







返す返す、ここまで巡ったいずれの窯跡に散在していた陶片は何処にいっちゃったんでしょうね?み~んな訪れた人やら盗掘者やらが持って帰っちゃったんでしょうね。

その後、時間の都合で錆谷はパス。

黒牟田の里の幸平(こうびら)古窯(江戸中期~明治期)、祇園下窯(江戸中期~昭和初期)をちょいとうろうろし、山崎御立目、祥古谷、李祥古場のある平古場エリアへ。

今回の窯跡巡りの、目的の一つが杉の元古窯をたずねることだった。
武雄北部系で、何度も前の農道は通過しているのに、訪れていなかった。また川口誠二氏著「肥前の古窯」に「窯に関係のある人物の墓がある」とあり、それを確認したかったのだ(←こちらがメイン)。葭の元古窯の項でも書いたが、ここのところ窯跡で「高麗神」と称される、陶工さんのお墓が気になって仕方が無かった(=というか色々調べたいと思っている)。

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杉の元古窯は李祥古場古窯より少し南、50メートルほどくだった箇所で北から南に向けて登り窯が築かれていたようだ。物原は小さく、こちらも数点の陶片を確認したのみ。




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窯の上部から更に登ったところに祠が有り、そのすぐ横に3基の墓標があった。文字は視認できず、劣化が激しい(元は一枚岩で幅もあったのではないだろうか?)








窯を見下ろす位置にあるお墓。
感無量…。
異国で生涯を終えた陶工さんのお墓。思わず手を合わせる。
ガタガタで倒れかけた墓標を安定させようとしているKさんが神々しく見えた。

Kさんのお話しでは近所の内田大谷古窯には年号が視認できる墓標がある、とのこと。
いつしか詣でてみたい。

僕は韓国の窯について詳しくは知らない。
やはり古窯にいくと窯の上部に窯に関係した人物の墓所があるのだろうか?
こういった「高麗神さん」と呼ばれる墓所は日本のみ、なのだろうか??
研究結果とか、ってないのだろうか???
古窯巡りの醍醐味はこういうところ、だったり。
今後は「高麗神さん」に力点を置いた窯跡巡りもしたいなぁ、と。

色々と刺激され車に戻る。気温は下がったよう。摂氏2、3度ぐらいか。
そんな杉の元を後に、姥々原(うばがはら)古窯に向かった(④につづく)。